セドナのボルテックス野次馬体験 

宮平順子
    



はじめに

 ボルテックス(Vortex)って何? というのが、最初にこの言葉を見た時の感想である。今年の4月14日、「週刊NY生活」というミニコミ誌を日本食料品店で貰ってきたら、トラベル関連の記事で紹介されたのが、アリゾナのセドナだった。

書いているのは、旅行業の方で田中拳雄さん、「エネルギー磁場を体感する」という記事。なんでもセドナは砂漠の中のリゾート地として人気の場所だが、「セドナは絵や写真、人から伝え聞く以上に、遥かに人の想像を超えている」のだと。このセドナは「ボルテックスというエネルギー磁場としても特に有名」なのだそうだ。日本ではセレブが来て有名になったとか。

田中さんの記事によれば、「セドナのビジターセンターで、ボルテックスはどこかと質問しても無駄だ。その土地を知り尽くしたビジターセンターの老人いわく“看板があってここがボルテックスとは書いていない。その人が感じる場所がボルテックスだ!エンジョイ!」らしい。
こうなると、自分で体感するしか無いのか、と野次馬の私には大いに気になった。アリゾナといえば、ノルウェーの旅で、友達になったマリリンが、アリゾナだったなぁ、ひとつ、彼女に地場の意見を聞いてみようか、という軽いノリで、彼女にセドナにボルテックスがあるようだが、どんなものでしょうね?とメールを打った。彼女からは、「セドナはずっと昔行ったことがあるが、ロック・クライミングに行ったので、ボルテックスなんて知らないわ。」これは不思議。物知りの彼女が知らないとは。
彼女は、NYから飛行機なら、フェニックスが近いわよ、とのアドバイスも。フェニックスから北上して、2時間位がセドナだそうで、彼女の家への道順も教えてくれた。フェニックス空港から北上して30分位のところだ。セドナへ行く通り道ではないか。これは天啓か?
ボルテックスをグーグル(英語)で攫ってみると、ボルテックス自体は、自然科学現象で、竜巻などのように気流が渦を巻くような現象らしい。風呂場の排水口の近くの水が、渦を巻くのも、同じ現象だと。だが、「ボルテックス」に加えて「セドナ」という文字を追加して検索すると、今度は、神霊、霊感、超能力、という感じで、超常現象っぽい。更に、New Ageとかと関連があるみたいだ。そこで、「New Age」で検索すると、ニューエイジ運動は諸説あるが、古代の神霊や宗教(無神、唯一神、凡神のごちゃまぜ)をもとに、占星学、地質学、環境学を採り入れ、特に、アメリカでは、1970年代から西海岸に広まった「個人の直接的な霊的な覚醒を重んじる運動をさす」という記述があった。
更に訳が判らなくなり、マリリンにも会って話を聞きたいし、これは、一度行ってみなくては、という好奇心で、6月7日−14日の旅をした。

フェニックスからセドナへ

 朝8時半NYを発った飛行機は、実際は5時間半の飛行時間だが、時差が3時間の為、午前11時には、フェニックスに到着。レンタカーをして、マリリンの家についたら、お昼をご馳走してくれた。NYから持っていったお土産の和菓子をデザートに二人で食べながら、でも、実際ボルテックスについては、フーン、という感じ。この温度差は何だろう?
1時頃、発つときに、マリリンは、自宅の庭に成っている林檎をセドナでのスナックにするといいわ、と幾つか包んでくれた。優しい人だ。
州道17に乗って、地図でみれば、真っ直ぐなのに、実際は、山間の七曲がりみたいなハイウェイを2時間ほどかけて、漸くセドナ行きの間道179北に乗る。すでに、4000Ft(1300m)の若干高地。走りながら、急に辺りの景色が変わったのに気がついた。岩だらけの景色。しかも、岩は赤い。7年前、あのグランド・キャニオンで観た横縞入りの岩々と同じような岩。赤い岩に、樹々の緑。赤と緑の強烈な対比、それを緩和する黒縞。成程、セドナを含めて、レッド・ロック・カウンティと言われるのも無理はない。だが、この空の蒼さはどうだ。突き抜けるような蒼さで、雲一つ無く、どこまでも透明な空。スピリチュアルといえば、これこそスピリチュアルではないか。
セドナ市域に入った時は、4時頃。ホテルは、Bell Rock Innというタイム・シェア(リゾート・マンション)で、キッチンも付いた広いスタジオ風。プールもあるし。ここに7日泊まって、ボルテックスなるものの正体を掴めるか?

セドナの空気

 翌日、早速、セドナの中心地に行ってみた。あちこちに、旅行者用の情報センターがある。手近のセンターで、中に入って、「ボルテックスについて教えて貰えますか?」と聞いたら、年配のおじ様が、「アンタね、何処にもボルテックスなんて看板は、出てないからね。自分で感じたことろがボルテックスなんだよ。」何だこれは?あの新聞記事の人が書いていたのと同じ言葉ではないか。それでも「ボルテックスの場所一覧」というチラシはくれた。一応ヒントはあるのか。なら、なんで自分で探せみたいなことを言うのだろう?



釈然としない儘、セドナの町の中央の立派なHホテルに行ってみた。世界中でチェーンをもっているHホテルは、ここも、タイム・シェアを売っているらしい。情報BOXのおじ様が暇そうにしているので、ボルテックスについて聞いてみた。すると、この人、眠そうな顔をしていたのに、急に目がパッチリ開いて、「ありゃ、1970年代にNYから流れてきた女が、訳のわからない心霊術を始めて、ヒッピー達が集まった名残でね。」エッ、これはまた。と仰天。
この人は、シャーマンと言う人で、シカゴからフェニックスの進学高校の寄宿舎に居たのだが、「女の子の後を追っかけて、大学に行きそびれ」そのままフェニックスに居付いたのだそうだ。友達とパートナーで、観光客向けの案内や、ナバホ族やホピ族のお土産屋にも関連していると言う。「一般には観られない観光場所に案内できますよ。」と、自分の商売を売り込む。
タイムシェアの説明会に出席すれば、あちこちのクーポンが貰えるから是非、などと、一応ホテルの職員らしいことも言ったが、それよりも、ナバホと、ホピの話、コロンブスが大陸発見後、入植したスペイン人が、この地で、金鉱があると言ったのを真に受けて一発当てようという男がどっと集まった、とか、セドナ近郊のジェロームという町は、そうした金鉱堀の名残で、昔ながらの西部劇に出てくる街並みもある、とか、随分色々教えてくれた。

彼の話で、ひとつ合点がいったのは、1970年代といえば、丁度、最初に私がアメリカに来た頃。確か、あの時代は「ヘア」というミュージカルがあって、私は、サン・フランシスコで観たのだが、あの中で「水瓶座の時代がやってくる(Age of Aquarius)」という歌が冒頭に唄われる。実は、私は水瓶座の生まれなのだが、それまで、「水瓶座の時代」などというのがあるとは全く知らなかったので驚いた記憶がある。あのヒッピー達は、私と同じ星座の人達が始めたのだろうか?この年になって、ヒッピーの話を聞くとは思わなかった。これって、自分探しの旅なのだろうか?
Hホテルのシャーマンにお礼を言って、インに戻ってから、近くのスーパーマーケットに買い出しに行った。この州では、カリフォルニア同様、ワインの類も、スーパーで買える。ワイン、ビールと出来合いのサラダなどを仕入れて、レジに並んだ。前の中年女性と目が合った。ニッコリ微笑んでくれる。優しそうな人だ。私は、彼女に追いついて、聞いてみた。「こちらにお住まいですか?」「ええ」「ずっとですか?」「10年以上になるから、長いわね。」「実は、私、昨日着きましてね。ボルテックスについて、色々、多説あるようですが、」と、シャーマンの話、インフォ・センターのおじ様の話、などを話し「実際はどうなんでしょうね?」

彼女は、「成る程ねぇ。どちらもそれなりの背景でしょうね。ボルテックスで有名になれば人は集まり、お金が落ちるし、それを考えれば、ボルテックスを否定するのもねぇ。」これは、現実的な話だ。実に腑に落ちる。彼女は、「でも、セドナの夜は、星空が凄く綺麗なのよ」と。私は、ハッとした。そういえば、この澄み切った空気が夜になれば、星が良く見えるだろう、あのノルウェーの北極みたいに。私は探偵気取りで何をやっているのだろう?何だか急に肩の力が無くなった。目を吊り上げてボルテックスを探すのはやめよう。自然と空気と風を楽しめばそれでいい。
インに戻り、ロビーに行く。(ロビーと客室は別棟だ)ロビーには、毎週、日毎の催し物とか、ツァーの案内情報がある。見ると、ボルテックス・ツァーもあるし、モンテズマ(インディアンの遺跡)巡り、などもある。だが、土日は、ガイド達も休日を取るせいか、DVDの貸出し位しかない。それなら折角アリゾナにいるのだ、近郊ドライブをしてみよう。

隕石が地球と衝突

 アメリカには隕石落下の場所が、小さいのも入れれば13州に亘り1500箇所以上ある。一番古くて最大のはアイダホ州ビーバーヘッドで、8−9千万年前に落ち、直径50−90マイルの陥没を作ったのだとか(世界では8番目)。そこへいくと、アリゾナのウィンスローの近くのバリンジャーBarringer隕石落下跡として観光客に公開しているのは、落下が「僅か」2万−5万年前で、陥没は直径1マイルと小さいが、比較的最近落ちたため、陥没地の保存状態は世界で一番良く、観光客を集めているのもここだという。
レンタカーで貰った地図でみると、セドナから直ぐ近くだ。 
が、これも、実際には、山間コースで、キャンプ場を幾つも縫って北上し(地図上は28マイルだが、実際の感じでは50マイル位ある)、7年前に通ったグランド・キャニオンの南の入り口、フラッグスタッフから、ハイウェイ40号(途中で140号に改名)に乗って果てし無い平原を東に50マイル近く走り、漸く出口に降りたら、更に6マイル南下した大平原(文字通りの平原で、樹一本無い)の真ん中に、メテオラ・クレーター・センター(一応自然科学博物館)は建っていた。全く何もない場所 A Place of Nowhereとしか言いようの無い場所である。実際には、科学者個人の資産で営業公開しているようだった。館内には隕石などの展示物と、劇場、土産物屋(石が多い)があり、隕石衝突の模様(想像だろうが)と、その分析歴史をたどったヴィデオを観た。

左:隕石衝突の跡
下:科学博物館と駐車場


隕石が地球と衝突した様子を感じるには以下で。http://www.meteorcrater.com/
建物を出て、保存の良い隕石落下跡地(緩やかに陥没した野球場の大きいのみたいだ)を拝観しながら、この土地、セドナから100マイル位しか離れていないのに、空といい風といいセドナとは全く違う。土地柄か、埃っぽく、からっ風も強く、あのどこまでも蒼いセドナの空気が激しく懐かしく感じた。この差が、セドナの魅力なのかも。

ジェロームの町

 日曜日は、セドナの西にドライブし、ジェロームの町に行った。ここは、銅の鉱山で、山膚に、Jの字が掘られている。京都の大文字の「大」みたいに「J」が。この町は、日本が江戸から明治に変わって10年弱経った頃(1876年)に出来た町である。 標高1700mで、セドナよりも高い。ただ、町ができるずっと以前、16世紀に最初に入植したのはスペイン人だった。スペイン人は、金鉱があると信じていたという。19世紀に町が出来てから、最初は伝説の金鉱を狙って人が集まり、アリゾナで4番目に大きな町になったものの、金は無いと判り、大恐慌の時には大幅に人口も減ったと。その後、閉山する会社も出ながら1967年には連邦政府から歴史上重要指定地(Historic District)と認められ、現在も銅月産300万トンを健気に生産しているという。
だがここ30年で、ジェロームは、銅山から、芸術家の町に変身した。現在のジェロームは、チャーミングな絵画、クラフト、洒落たバー、写真、などの店が、坂になった中央通りに店を並べ、多くの観光客を僅かの人口で捌いている。坂の下の方には、過去金を求めて労働者が集まったワイルド・ウェスト時代の遊郭の看板を出した店もある(現在営業していない)。レストランも繁盛していた。アリゾナで数回レストランで食事をした印象は、量が多いが味はイマイチ。でも、ここのイタリアンは、なかなか美味しくピノ・グリジオと良く合った。

昔の遊郭「亭主の露地」の跡地説明 JeromeのJの字が山に


夕方インに戻り、モンテズマ遺跡と、ボルテックス巡りに申し込む。ガイドは、パトリック・フーリハンというドクターでキューレーターでもあり、称号を一杯取った土地の名士みたいな人らしい。月曜の朝は「瞑想」もやってみよう。私も昔のヒッピーの世代だし、手近で簡単に参加出来るなら。

瞑想

 朝7時半からの瞑想クラスに参加した。季節柄か、受講者は私と中年女性のアンケ先生が伴ってきたドイツ人の若い女性と二人だけ。「パゴダに行きましょう」と先生。どこにパゴダが?と思えば、ホテルのプールの側の6角形の屋根付きベンチ。先生は、カップに乾燥セージ(しそ科)を入れて、火をつけた。匂いの強い煙が立ち昇る。それを両手で、掬うように、頭から煙を浴びる。(護国寺の護摩の煙を身体に浴びるのと同じ感じ。)正直、困った。私は、お香とか、香料入りのロウソクとかが苦手である。浴びる振りをして出来るだけ息を停めて嗅がないようにする。先生はドイツから来たが、「このセドナに来た瞬間、ここだ!って思ったのよね。」と。
椅子に腰掛けて、手を組んで目を閉じる。アンケ先生は「私の言うことを、考えずに、ただ聴いてくださいね。」何を言うのかと待っていたら、概ね、「鳥の声を聴きましょう。川の流れを聴きましょう。感じましょう。心を開きましょう。」という類を延々低い声で呟く。(時々ドイツ語が交じるのは、もう一人のお嬢さんの為だ。)学生の頃、一度だけ座禅に参加したことがあったが、あれと同じ感じだが、座禅は沈黙であった。こちらは、先生が喋っている。それを30分ほど続けて、黙ったので、薄目を開けたら、もう一人も目を明けている。その彼女、なんと涙を流していたので、驚いた。でも、ちょっぴり羨ましくも思った。感受性の強い人は、こうしてボルテックスの流れに浸れるのかも知れない。

「公認」ボルテックス

 以前は、セドナでボルテックスの場所とされたのは20箇所位あったらしい。New Ageの心霊者(その数も、色々で、グループも様々。そして、あの時代のフリー・セックスの影響か、男女が、相手を変えることも少なくない)が、「ここにボルテックス(地エネルギー)が感じられる」と言った処がボルテックス場とされたのが最初らしい。その後、例えば、ジュニパー(ビャクシン、檜の一種)の樹は大地の気に敏感で、気の流れに従って樹体が捻れるので、捻れたジャニパーがある場所は、ボルテックスの可能性が高い、ということで、現在は、セドナで公認されているのは4箇所。余談だがジュニパーの実は、香料として、ジンを作るのに使われる

ジェニパーは大地のエネルギーによって捩れる。
ボルテックスの強い場所を示す


そうな。薄緑の実は、確かに微かにジンの香りがした。
4箇所の「公認」ボルテックス地域には、駐車場があり(看板もある)、そこをハイキングの出発点にして、赤岩巡りをするハイキング・コースとなっている。大自然Wildernessを保護するために、できる限り路から外れないように(人間の行動の影響を自然体系に及ぼさないように)、という注意書きがある。紙くずを落とすなどもっての他、ゴミは全部持ち帰る、暑いので水ボトルは必ず持参、スナックも若干用意。だがトイレは無いので、道から離れた場所に30cm位穴を掘って、紙も埋めろ、という指定もある。また迷っても誰も助けにこないので、複数で行動すること、というのが共通した注意書きである。(でも、今時は、おそらく携帯で、ホテルに連絡は取れるのではないだろうか。私は常に携帯は持って歩いた。)

「公認」4箇所、すべて一応歩いてみた。3箇所は、耐久力さえあれば、普通のハイキング並である。長い場所でも、一周か往復で4時間位。一人で歩いていると、1時間程歩いて、人と行き合えば、「あと、終点までどれ位?」と聞く。「30分位」と言われれば、その心積もりも出来るが、全く他人に会わない時間が長くなると、若干不安になる。途中で、何度か諦めて引き返そうかと思ったこともあった。場所によっては、平らな道と岩をよじ登る道とがある。そんな場合は、最初はよじ登って、早く到達しようと思ったのだが、一人で迷った場合のことを考え、出来るだけ平坦な道を選ぶようにした。一人旅が不利になることもある、というのをここで初めて思い知ったのだった。だが、苦労して山歩きをして、最後の場所の立て札に到達した時の達成感は、別の感動があった。暑い日中でも樹々の下には涼風が吹き、気持ちの良い気分である。ボルテックスがどうの、というのとは関係なく、自然の大地の中で生きているという実感が湧いた。

左:公認ボルテックスの一つポイントン・キャニオンの最終地
下:私の到達記念に小さな石を載せた。


カテドラル(大聖堂)という名の岩は、他よりも、よじ登る角度が急で、また迷いそうな斜面であった。二人以上であれば、確実に楽に登れるとは思ったものの、万が一を考えて、ここだけは、頂上に行かなかった。これは心残りであった。もし次回があるのなら、セドナばかりは、友達と二人で再挑戦してみたい。

Bell Rockと、Courthouse Buttの両方の周囲を廻ると2時間半掛かる。


私のインのすぐそばのBell Rock は、「公認」ボルテックスの中でも最も強いエネルギーを出すという。だが、何度行っても(岩の周囲を歩ける)特に何も感じなかったのは、おそらくインは、既に、そのエネルギーの恩恵を受けているからだと考えることにした。
ところで、このボルテックス行脚中、一人も座って瞑想している人を見なかったのは、時間帯が違うからだろうか?

モンテズマ遺跡

アリゾナには昔からインディアンの種族が出入りしてきたが、中でもホピ族、ナバホ族が良く知られている。だが、実際にアリゾナに原住していたのは、シナグア(Sin−agua水の無い)族だったという。このシナグア族は、固まって共同生活を営んでいた。ガイドのフーリハン博士は、そうした共同の住居の一つを説明してくれた。住居の一方が大人で、片方が子供用だと。博士に聞いてみた。「そうすると、母系社会だったのでしょうか?」共同であれば、父系は不明のことがあるからだ。博士は、「確かに、一応母系ではあったけれども、但し、家族としての責任は、母の男兄弟が、実際の父であるかどうかに関わりなく、監督責任を取っていたようですよ。」このシナグア族は、16世紀に、不明の病で絶滅したとされるが、その血を受け継いで、生き延びた子孫がホピ族となったらしい。(現在も調査研究中。)

モンテズマ・キャッスル
とはいえお城ではない。
昔の原住民の共同住居跡地


セドナの住民と話すと、80%以上の確率で、ホピ族は自然への畏敬の念が篤く寛容であるが、対して、後から入植したナバホ族は、商売が上手く、金ばかりだった、と言う意見の人が多かった。NYでは、ナバホ族は、美術・工芸に秀でている、と習ったのだが、数世紀遡るとなんともいえなくなる。
フーリハン博士は、モンテズマ城といわれる跡地に案内してくれた。ここは、国立公園に指定されているのだそうだ。プエブロが平たい共同住居なら、キャッスルと言われる住居跡は、岩の側面を繰り抜いた住居で、内側は、はしごで登り降りをしていたらしい。文字の無い(歴史以前と言われる)シナグア族の実際の生活は、遺跡から類推するしかないようだが、彼らがボルテックスを感じていたのかどうかは不明である。フーリハン博士は、コネチカット出身だが、1970年代末に、セドナに移り、ボルテックスや、New Ageは、彼の生活の一部だと言うから、この人こそ元祖ヒッピーの一人かもしれない。
彼は、昨年10月18日NYタイムズに載った社説が面白い、と教えてくれた。「電流に繊細な先祖達」というその社説は、脊椎動物で電磁波を感知出来たのは古代の捕食魚類だが、この魚類が進化して、2種に別れた。一つは、魚のまま電磁波を敏感に鋭く感知し、もう一方は(人間はこちら)陸に上がり電磁波を感知する能力を失った。とコーネル大学の研究で明らかになったとか。そしてこの社説の書き手は、もし、今も人間が電磁波に古来の魚のように敏感に反応するのであれば、今の電磁波(各種の機器やIT器具)に溢れた社会は極めて住みにくいのではないかと。(敏感で無くなったお陰で進歩した?)
NYに戻って、この社説を検索して、読んだ私は、逆に言えば、ヒッピー達は、進化しなかった古代魚のDNAを持って生まれたのだろうか、などとバカなことを思ってしまったのだった。水瓶座の次は、魚座である。
セドナの大気は、ボルテックスを持ち出すまでもない。あの空と大自然で充分人は集まる。私が話をした「土地の人」は、ほとんどが他州生まれだった。そして、皆、セドナの自然を誇りに思っていた。私に古代魚のDNAが無くて鈍感であっても、セドナは充分に私を惹きつけたことだけは判った。(完)


 作成協力 株式会社 トムソンネット